
最初は、かなり捻くれたタイトルだな、としか思わなかった。
深谷シネマで、『急に具合が悪くなる』という映画を観た。今年の5月、主演の日本人とフランス人がカンヌ国際映画祭で同時に女優賞を受賞したという報道を目にしていた。
僕が持っていた予備知識は、本当にそれだけだった。
3時間超えを感じさせない充実感
上映時間が3時間以上もある。『国宝』を観て以来の長さだ。トイレは大丈夫か?、ボンタンアメが必要か?、歳だからな。そんな心配は無用だった。
『国宝』と同様、長いのに短い。静かにエンドロールを迎えるのが惜しく感じるほどの出来栄えだったのだ。
ネタバレ込みのあらすじを書くこともできるが、それを知ったところでこの映画の良さは1ミリも伝わらないだろう。だから、そんな無意味なことはしない。
しかしねえ、主演の岡本多緒の演技には心底驚かされた。映画『沈黙の艦隊』での印象しかなかったのだが、僕の中のイメージはガラリと変わった。もちろん、とびきり良い方に、だ。こういう女優だったのか。
最初は戸惑う「棒読み」が、次第に癖になる
正直に言えば、観始めてすぐは「ん?下手なのか?」と思った。何という頼りなさ。本当にこちらまで「急に具合が悪く」なりそうだった。ところが、物語が進むにつれて、この独特な演技がどうしようもなく癖になってくる。
これはわざとなのだ。どうやら濱口竜介監督の演出によるものらしい。いわゆる、感情を削ぎ落としたような棒読み口調なのだが、単なる下手な棒読みとは明らかに違う。セリフの「置き方」が絶妙である。
そしてこの口調が、もう一人の主演であるフランス人女優ヴィルジニー・エフィラとの会話に恐ろしいほどハマっている。
ソルボンヌ大学で哲学を専攻していた演出家と早稲田大学で文化人類学を学んだ介護施設長という設定の二人が、人間社会の複雑性を解釈しようとする会話として、妙に成立しているのだ。岡本多緒のキャラクターが生きている。
日本語とフランス語の交錯が生むリアリティ
おもしろいのは、2人が互いにフランス語と日本語を自在に使いこなす点だ。互いの母国への留学経験があるという設定なのだが、それはある意味、映画的に都合が良い設定だ。
それを感じさせないのは、あまりにも流暢に言語を使い分ける2人の圧倒的な演技、というか、ほとんど素に見える空気感があるからだろう。
影で相当な努力があったんだろう、という、俳優に対しては少し失礼とも思われる称賛をしたい。
本音を言えば、すべてをフランス語で通して字幕表示にしてくれた方が、もっとすんなりと内容が頭に入ってきたかもしれない。
でも、それは日本人が観た場合のことであって、この映画がフランスを始めとしたヨーロッパの国々でも公開されることを考えれば、日本語という言語の響きそのものを作品に組み込む意図があったのだと思う。
パリと京都、日常の風景が刻む「重層感」
舞台はパリと京都。どちらも深い思考を想起させる街だ。画面に映し出されるのは、絵画のように綺麗な観光地の姿ではない。ただ、そのロケーションを通して観ると、環境が考え方に大きな影響を与えるのかもしれないと思うようになる。映像というのは不思議なものだ。
パリのセーヌ河岸をあてもなく歩きながら交わす会話。京都の名前もない裏山に登り、2人でカップ麺をすするシーン。なんでもない一コマなのに深く印象に残った。
なんだか重箱の隅をつつくような部分だけをピックアップしているようだが、劇的な事件が次々と起こるようなストーリー展開ではないからこそ、こうした「細やかな日常の積み重ね(重層感)」がダイレクトに胸に響いてくる。
だからこそ、この映画は実際に観て欲しい。
映画の余韻のまま、原点の「往復書簡」へ
観終えたあと真っ先に思ったのは、「この映画がどんな原作から生まれたのかを絶対に確かめたい」ということだった。
そもそも『急に具合が悪くなる』というタイトル自体、原作本から取られたものなのだ。最初の、映画のタイトルにこんなのつけるか?という疑問もそれで解けた。まあ、本のタイトルとしてもかなり斬新ではあるが。
ちなみに、フランス語の原題は『Soudain(スダン)』で、「突然に」といったニュアンスらしい。
Wikipediaによると、原作は「実際の哲学者と文化人類学者が交わした往復書簡をゆるやかに翻案した作品」とのこと。手紙のやり取りを記録したものなのか? 映画とはだいぶ趣が違うのかもしれない。
本を読み終えたら、またその感想も書いてみたい。
