東大赤門。壁は高いほうがいい。

受験の記憶はむかーしむかしのことだったので、連載当時のこの漫画には食指が動かなかった。

『ドラゴン桜』である。

2003年に『モーニング』誌で連載が始まって以来、ドラマ化、そしてシリーズ2へと続く中で、受験生や親、教師はもちろん、それほど関係のない普通の人たちの間でも話題になった。だから、まったく興味がなかったわけではない。

その漫画を今さら読んでみようと思ったのは、フルカラー版の全巻がKindle Unlimitedに登録されていたからだ。つまり、今だったらKindle Unlimitedを契約している人は追加料金なしで読める。ありがとう、アマゾン!

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現在、最初のシリーズ全21巻を読み終え、シリーズ2の途中まで進んだ。感情が霧散しないうちに、この段階での感想を述べてみる。

ちなみに、ドラマは未視聴だ。

まずは、あらすじ

AIの力を借りて簡単にあらすじを紹介。(いい時代だね)

「経営破綻寸前の落ちこぼれ高校を再建するために乗り込んできた、元暴走族の弁護士・桜木。彼が『5年後に東大合格者100人を出す』という極端な計画をぶち上げる受験漫画。特別進学クラスを開設した桜木が、偏差値30台で家庭や人生に悩む水野と矢島という二人の生徒に対し、個性的な講師陣とともに独自の勉強法や受験テクニックを叩き込む。生徒たちが意識を変えながら東大合格を目指して奮闘する姿を描いた物語。」

とんでもなく高い壁を目指すストーリー、癖がありすぎるキャラ設定、一見ありえないと思わせつつ「なんかできるんじゃないか?」と期待させるトレーニング方法。これらは昭和30年代生まれの筆者にとって、あまりにもリアルな感覚がある。

当時むさぼり読んだ、昭和のスポ根漫画の構造をほぼ踏襲しているのだ。

受験界の『巨人の星』か『あしたのジョー』か

まるで、受験界の『巨人の星』である。シリーズ1で言えば、「巨人」が「東大」で、「星一徹」が「桜木」。「星飛雄馬」はさしずめ「水野」だ。
あるいは『あしたのジョー』か。「桜木」は一見無茶なことを言う「丹下段平」であり、この場合の「ジョー」は「矢島」に違いない。

大学受験を身近に感じる世代なら、難関校の受験システムや効率的な勉強法、モチベーションの保ち方などに興味を持って読んだ人が多いだろう。過去の自分に置き換えて「最初からこんな漫画があったら合格できたのに」と感情移入した人もいたはずだ。

最先端のツールや学習システムで効率的に勝ち上がっていくサクセスストーリーとしても、実に爽快である。

だが、忘れてはならないのは、彼らが目指しているのは「東京大学」だということだ。
V9時代の巨人(古いね。今ならMLBか)や、ボクシングの世界チャンピオンかという話なのである。

そんなもの、生易しい受験テクニックや金の力だけで達成できるはずがない。

結局、必要なのは「根性」だ

そこに真に必要とされるのは、あまりにもベタで身も蓋もないが、「根性」なのだ。

小・中・高と昭和スポ根時代を過ごした僕が強く共感したのは、根性と地道な努力という真っ直ぐな土台がストーリーの中心にあると感じたからに他ならない。

個々の葛藤を抱えながらも、一つひとつの関門をクリアしていく様子は、行き着くところ根性でしかない。とても昭和的ではあるけれど、だからこそ胸が熱くなり、涙してしまう。
節目節目に水野が涙を流す場面では、不覚にももらい泣きしてしまった。

根性論は好きではないが…

本来は、昭和生まれの「じじぃ」の戯言のように思われるだろう根性論などあまり好きではない。特に、暴力を伴うような古い根性論は論外だ。

しかし結局のところ、何かとてつもない高い壁に挑戦するとき、時代が変わっても行き着くフレーズは同じなのだろう。

桜木が起こしたのは究極の「意識改革」。「どうせ無理」と思っている生徒に、まず「お前はできる」と思わせる。そこから先は、講師陣の力であり、家族の支えであり、そして最後は生徒自身の努力になる。

桜木の言葉を信じ、それに応えた講師陣や生徒の家族は「粘り」であり、最後は生徒の涙ぐましい「努力」と「根性」が勝利を生んだのだと言わざるを得ない。

信じ合う力

こうして考えると、『ドラゴン桜』は単なる受験テクニックの漫画ではない。もちろん、効率的な勉強法や受験のシステムについての話はたくさん出てくる。

しかし、その根っこにあるのは、「人は変われる」ということなのだと思う。そして、そのためには、自分一人の力だけではなく、誰かが自分を信じてくれることが大きな力になる。

桜木が生徒を信じ、生徒が桜木を信じる。
講師が生徒を信じ、家族もそれを支える。
そうやって、バラバラだった人間が少しずつ同じ方向を向いていく。
それを見せられると、こちらも胸を打たれてしまう。

たぶん、僕がこの漫画に感じた「昭和っぽさ」も、単なる根性論ではないのだろう。

努力すること。
諦めないこと。
誰かを信じること。
そして、信じてもらうこと。

こういうものは、時代が変わっても、案外変わらないのかもしれない。
信じ合う力の凄まじさを見せつけてもらった。

そして、何十年ぶりかに漫画を読んで泣いた。
歳をとったせいなのか。それとも、この年齢になったからこそこういう話が身に沁みるようになったのか。

まだシリーズ2の途中なので、最終的な感想はもう少し先になる。
それでも、今のところ『ドラゴン桜』は、受験漫画というより、昭和のスポ根漫画をもう一度読んでいるような気分にさせてくれる漫画だった。

それが、連載から20年以上たった今になって、この漫画を初めて読んだ僕には、なんとも面白い発見だった。

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古野木しゅん

昭和30年代生まれ。しし座、O型。自由人。といえば格好がいいが、仕事を引退して無職になっただけの身です。

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