必死に泳ぐ柴犬。もう泳ぎ始めないと、石みたいに沈んでしまうぞ。

デザイナーを引退した身としては、なんとも複雑な気持ちになるニュースがあった。
「デザイン業」の倒産が急増しているらしい。

2026年上半期のデザイン業の倒産件数は40件。前年同期比166.6%増で、上半期としては14年ぶりの高水準だという。しかも、その多くは従業員5人未満の小規模事業者だ。背景には、生成AIやデザインソフトの普及によるデザイン業務の内製化、紙媒体からデジタル広告への移行などがあるらしい。(ビジネス+IT)

これを読んで、とうとう来たか、という気がした。

PhotoshopがAIになったとき

潮目が変わり始めたのは、やはりAIの登場からだろう。
世界のプロデザイナー御用達のAdobeが、象徴的なツールであるPhotoshopのAI化に大きく舵を切ったのは2023年頃だったろうか。

もちろん、それ以前からデザインの世界は少しずつ変化していた。
スマートフォンの写真アプリにさえ、Photoshopを凌駕するようなAI機能が搭載されたり、Canvaのように無料でもそこそこの写真加工やデザインを提供するクラウドサービスが誕生していた。

生成AIの進歩はそれまでとは少し質が違う。
「あるものを組み合わせて何かを生み出す」という作業は一般的なデザイナーのスキルだが、AIはそれを軽々とこなすようになった。そればかりではなく、「無いものを生み出す」ことさえ可能になってきている。

もうデザイナーでなくても…

デザインのハードルは劇的に下がった。

たとえば、ちょっとした広告やチラシ、バナー、SNS用の画像、商品イメージなどであれば、企業の担当者やショップの店員でも、AIに相談しながらかなりのところまで作ることができる。

「こんな感じのものを作りたい」と伝えれば、案を出してくれる。さらに、「もう少し高級感を出して」「若い女性向けに」「文字を目立たせて」などと注文すれば、それなりに修正もしてくれる。外部のデザイナーに仕事を発注しなくても、自分のところである程度できてしまう。

AIは単なる制作ツールではなく、ある意味では「インハウスデザイナー」のような存在になりつつあるのだ。これは、かなり大きな変化だ。

デザインを取り巻く「器」そのものが変わった

しかし、AIだけを原因にするのは少し違うとも思っている。
これは単なる一時的な不況や景気の波ではなく、もっと大きな変化がすでに長い時間をかけて進んでいるからだ。

たとえば、デザイナーがこれまで主戦場としてきた「紙」という媒体そのものが、どんどん小さくなっている。
つまり、デザインの技術だけが変わったのではない。そこにAIが加わったのである。

様々な変化の相乗効果によって、「今までと同じ作業や考え方」しかできないデザイナーが淘汰されていくのは、ある意味では仕方のないことなのかもしれない。

昭和から続く「淘汰と変化」の既視感

とはいえ、昭和からデザインの仕事をしてきた自分にとっては、強烈な「既視感(デジャブ)」がある。

活版から写植へ

戦後、日本でデザインという職業が一般的になっていった頃は、金属活字を組んでレイアウトをする「活版印刷」の知識を巧みにコントロールすることが、高度なデザインスキルだった。山田洋次監督の映画『男はつらいよ』に出てくるタコ社長の印刷工場のような世界だ。

ところが、その後に「写植(写真植字)」が登場する。
文字を写真のように印字し、それを版下という台紙の上にピンセットで貼り込みレイアウトしていく手法へと移行していった。ちなみに、自分がデザインの仕事を始めたのもこの時期だ。

このとき、活版の技術に固執して新しい手法に移れなかった職人やデザイナーたちは、静かに姿を消していった。

そしてコンピュータがやってきた

さらに時代が進み、1990年代。Macintoshというコンピュータが登場する。

進歩的なデザイナーたちは、未知のツールに試行錯誤しながらも挑んでいった。当時はMacintoshでのデザイン環境を揃えるのに、最低でも高級車1台分くらいの投資を必要とした。

それまで机の上には、紙があり、鉛筆があり、ロットリングがあり、マーカーがあり、糊があり、ピンセットがあり……。気がつけば、それらはすべてディスプレイの中に入ってしまった。

いわゆる、デザインのデジタル化である。
この「DTP(デスクトップパブリッシング)」と呼ばれる変化の波は、今振り返ってもかなり革命的なことだった。

ここでも、写植や版下時代を支えたベテランデザイナーたちの多くが、コンピュータという壁を越えられずに業界を去っていった。

それでも生き残った者たちは、がむしゃらに新しい知識やツールを学び、「新しい革袋に新しい酒を注ぐ」ようにして時代を乗り越えてきた。

今度の波は乗り越えられるのか?

歴史を振り返れば、デザイン業界が同じ姿のままでい続けられるはずがないことは明らかだ。
時代は常に変わる。たまたまその大きな節目が「今」訪れているだけに過ぎない。

ただ、ひとつ忘れてはならない点がある。
今回のAI革命は、単なるIT革命の延長線上などではない。産業革命に匹敵するレベルで、人間の生活や産業のあり方そのものを根本から覆そうとしている。

もしそうだとすれば、デザイナーだけが「AIについて勉強すれば大丈夫」という話ではない。
仕事の道具が変わるだけではなく、人間が仕事をするということそのものが変わってしまう可能性があるからだ。

デザインという仕事は、どこへ行くのだろう

これからはデザインという概念そのものが、今までの「デザイン」とはまったく違う何者かになっていくのではないかと思っている。
そして、それは「デザイナー」という一職種の人間がコントロールできるほど、生ぬるい変化ではないのだろう。

これまでは、新しいツールを学び、表現の幅を広げれば(=新しい革袋に新しい酒を注げば)なんとか生き残ることができた。だが、今回ばかりは「ちょっと勉強して向上しよう」くらいでは到底乗り越えられないんじゃないか。

そんな時代が来ているような気がする。

普通のデザイナーに未来はあるのか?

では、これからの時代を生きるデザイナーに未来はないのか。
もちろん、そんな単純な話ではない。

デザインそのものがなくなることはないだろう。
ただし、それを「デザイナーという職業の人だけがやる」という時代は終わっていく。そのとき、デザイナーに残るものは何なのだろう。

おそらく、「新しい革袋に新しい酒を注ぐ」という従来の発想は捨てなければならない。「革袋」そのものではなく、まったく別の「新しい入れ物」を自分自身で見つけ出す必要があるのだと思う。

それは「見た目を整える仕事」からの脱却かもしれないし、人間固有の感情や文脈をデザインする仕事かもしれない。あるいは、まだ誰も名前をつけていない新しい領域かもしれない。

この道はいつか来た道。ただ今回は、以前とは違って道そのものがどこへ続いているのか、まだ誰にも見えていない。

年齢にもよるが、思いきってまったく異なる業種にチャレンジするというのもありだろう。


ここからは蛇足─

自分がデザイナーとして独立したのは38歳の時。「たられば」だが、その頃にこんな環境の大変化が起きていたとしたらどうしていたのだろう。
今思うことなのでどうしようもないが、AIに代替されることが難しいエッセンシャルワーカーのような、肌感覚で人の役に立てる仕事を選んでいて欲しいものだ。

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古野木しゅん

昭和30年代生まれ。しし座、O型。自由人。といえば格好がいいが、仕事を引退して無職になっただけの身です。

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